CBR250R MC19 (1988) 2017/5/25~
このバイクに乗る前は同じCBR250R MC41(単気筒)に乗っていたが事故で廃車。その後どうしても回るバイク、そしてこのカムギアの音にひかれ事故でもらった金でMC22、二ダボを購入…する予定だったが二ダボが当時(2017年)でも50万近くしており買える金額ではなかった。
そこで見かけたのがこのMC19だった。かたちにてるしカウルとかつくでしょと軽い気持ちで現車確認に行き、二ダボの隣に置いてあったのがこのMC19だった。 お店のメイン倉庫ではなく奥のほうにで埃を若干かぶっていたが、その時の出会いをよく覚えている。なぜかというとその埃っぽい倉庫に窓から光がさしておりこのMC19あたりを照らして、まさにアニメのような光景だったからである。ユーザー買取で入ってきて価格も相場よりだいぶ安かった。(乗り出し20万しなかった記憶)目立った大きな外傷もなく外観はキレイで全くススメめられてもいないしむしろ止められたがこのバイクに決めたのをよく覚えている。納車整備が超大変だったらしく、タンクの錆取り、キャブの同調OH等とにかく大変で『従業員のバイクじゃなかったら絶対やらない(笑)』と言っていました()
実際のりはじめるとそれは今まで感じたことがないくらい気持ちよく回るエンジンに官能的なサウンドに心が思わず笑みがこぼれた。震えた。MC41を新車で買ったもののなにか求めていたものとのズレ、電化製品のような、道具としての感覚を感じていたがこのバイクに出会えて、自分が求めていたものはこれだったんだ。バイクって自分を表現できる、自分を表現してくれるものなんだとこの時心の底から思い、このバイクが自分の生まれるはるか昔に存在して、そして今こうして自分と出会えたことに深く感動した。この経験こそ今の自分を創る重要なファクターだったんだなと今でも感じている。当時1人ぐらしで、寂しい日も、雨の日も風の日も、何処へでも一緒にいく相棒のような存在でかつての1988年、このバイクに乗っていた前オーナーが恐らくそうであったように、時を違くして同じく青春の日々を過ごしたのが自分にとってのこのMC19である。(そこからバイク擬人化などといった嗜好へ発展していくわけだが)
そして買ってから色々と気づいていくわけだがそもそも2ダボのカウルはつかない()そしてシングルディスク(と言ってもこれに関してはメンテナンス時に恩恵が多く自分はシングルでよかったと思っている。)そしてカスタムパーツはほぼ壊滅状態でまず情報がない。個性を出すのはおろか、エアクリすら廃番、燃料ポンプ付きで燃える、そしてそのポンプは廃番でそこに至るチューブセットも対策部品はあるものの安定して供給されているわけではない。自分の場合まだバイクブームですらなくこの車両の価値がない期間に購入したため、運よくマフラーも2万円台(といってもMC19外しというだけで専用ではない)そしてほぼ幻とかしている耐久カウルも3万円程で入手でき今の形に落ち着いた。2022現在、さすがに中華カウルがへたってきたため交換を検討中。